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2007年10月 アーカイブ

2007年10月03日

熱中症と冷房の関係

10月に入って、ようやく朝夕の涼しさに秋を感じるようになった。しかし、日中の暑さは30℃を切ったとは言え、まだまだ残暑が厳しい。まさに異常気象である。この暑さはいつまで続くのだろうか。
ところで、昨日小学校の運動会があり(30日に予定されていたものが雨天で延期になったもの)参加させていただいた。子どもたちが真剣に取り組む姿は感動的であった。特に「ネバー・ギブアップ」と題した6年生の組み立て体操には鳥肌が立つほど感動した。
ところで、お昼を校長先生やPTAの会長さんらと一緒にご馳走になったが、その席上「最近子どもたちだけでなく、大人もすぐに熱中症になりやすいのは、なぜか」と言う話題になった。最近、警察の機動隊員も訓練中に熱中症で倒れたとか・・・。
そして、結論は「冷房が原因ではないか」ということになった。どこの家庭にもエアコンが普及して、大人も子どもも真夏でもあまり汗をかかなくなった。そして、汗をかいて体温を調整する機能が衰えてしまったのが原因ではないか・・・・・。専門的な裏付けは定かではないが、何となく納得できる結論である。
しかし、果たしてエアコンのない生活に戻せるかどうか・・・・。難しい問題である。

2007年10月08日

改めて〈コンビニ強盗〉事件に思う「命の教育」の大切さ

またしても、寝屋川市内で暗い悲惨な事件が起きてしまった。10月6日(土)の未明、市内のコンビニエンスストアに少年2人が万引きに入り、男性店員に追跡されてナイフで刺殺するという悲惨な事件が発生した。報道によると少年2人(19歳と15歳)とも市内に住む少年という。
この事件を聞いたとき、私は咄嗟に2年前の市立中央小学校事件を思い出していた。平成17年2月14日、17歳の卒業生が校内に侵入して教職員3人を殺傷する非常にショッキングな事件であった。亡くなられた鴨崎先生は私のすぐご近所の方で、よく犬の散歩などでご一緒したので、今も鮮明に記憶が残っている。
今、子どもたちは簡単に人を殺す時代となってしまったのか。簡単に親を殺し、兄弟(姉妹)を殺し、人を殺す・・・・・。「恐ろしい」と言うより「寒々しい」時代である。
いま学校は「特色ある学校」とか「英語特区」とか、どちらかと言うと目に見える成果を求めようとする嫌いがあるように私は思う。
改めて、いま公教育に一番大切なものは何か。それは、子供たちに『生きる力』と「人間として何をすべきなのか。何をしてはいけないのか」。そして「人(人権)を大切にする心」「命を大切にする心」を教えることではないだろうか。

2007年10月10日

「ほめる」ことは「育てること」

皆さんは「ほめ育て」という言葉をご存じだろうか。子どもたちを「いい子だね」「よく頑張ったね」と褒めて育てると、いい子(明るい子、やさしい子、元気な子、成績の良い子)に育つという意味である。
これは何も人間の子どもたちに限ったことではない。草花などの植物にも「きれいな花だね」「もっときれいに咲いてね」と声や願いをかけて育てると、もっときれいな花を咲かせると言われる。動物も同じである。ペットや家畜も「いい子だね」「可愛い子だね」といつも頭を撫でて、ほめてやると、飼い主に従順な優しい動物に育つと言われる。
また、子どもに限ったことではない、大人の場合も・・・・・・
なぜ、私が急にこんな話を始めたかと言うと、実は今朝京阪「香里園」駅前で、こんな経験をしたからである。
今朝は昨夜からの雨は上がったものの、6時半頃はまだ空は雲に覆われ、少し肌寒く、私も何となく気分が重い朝であった。通勤・通学の皆さんもまた一応に重い表情で、うつむき加減で足早に駅に吸い込まれていった。そんな中で、例のごとく「大きな声で元気なあいさつ」の『山さんのあいさつ運動』を開始した。
30分ほど経ったが、もう一つ気分が乗らないので「今日は途中で止めて帰ろうかな」と思っていた頃、突然ある中年の男性が「山さんの元気な声を聞いたら、今日も元気が出てきたわ!」と笑顔で声をかけていって下さった。また、しばらくすると、今度は中年の女性が「私は本当は00党だけれど、山崎さんの議会報告をいつも楽しみに読んでますよ」と声をかけていって下さった。その瞬間から私の気持ちはパーッと晴れ渡り、そして不思議なことに、空の雲の間から薄日が差し始め、駅前の風景は明るく一変した感じであった。それから私は急に元気はつらつになり、予定どおり8時半まで「山さんのあいさつ運動」を頑張ることができた。
人は、相手の言葉次第で、急に元気になったり、落ち込んだりするものである。改めて「ほめ育て」の大切さを実感した次第である。

2007年10月16日

議員は非常勤の特別地方公務員です

平日に議会報告配りなどで地域を回っていると、よく市民の方から「今日は議会はお休みですか?」と声をかけられる事があります。そんな時「私ども議員は、基本的には議会や会議などの用事があるときだけ行けば良いので、私は自宅を中心に議員活動しているんですよ」とお答えしています。
市民の皆さんの中には、議員は一般の職員と同じように月曜日から金曜日まで毎日出勤していると思っている方が意外と多いようです。もちろん毎日議会に出て来て、ご自分の控え室を中心に活動をされている議員もおられます。しかし、それは極く少数と言ってもよいでしょう。
そもそも私ども議員は選挙によって選ばれているので、一般職の「地方公務員」に対して「特別地方公務員(特別職)」と位置づけられています。特別地方公務員には、議員の他に、市長や副市長、教育長、行政委員、消防団員なども含まれます。
また、私ども議員は「非常勤」の特別地方公務員です。非常勤とは「常勤」に対して、決まった時だけ勤務すれば良いことを意味します。市長や副市長、教育長などはいつも出勤するので常勤ですが、議員や行政委員などは必要な時だけ出勤するので「非常勤」です。すなわち、議員は(基本的には)議会や委員会、会議など必要な時だけ出勤すれば良く、その他の活動は議員個人の判断に任されているのです。
また、市長や副市長、教育長などの常勤の特別地方公務員(特別職)には、交通費や健康保険、退職金などの制度がありますが、私ども非常勤の特別地方公務員には、交通費や健康保険、退職金などの制度はありません(ただし、消防団員には条例により退職報奨金の制度があります)。これが、常勤と非常勤の大きな違いです。

2007年10月18日

亡き父を想う

ここ2・3日、なぜか街中の建設現場や道路工事現場で働く高齢者の姿が目につき、気になっていました。そして今朝、ふと10月16日が父親の命日であったことに気が付きました。
8年前の平成11年10月16日、父は肝硬変を患って病院で静かに亡くなりました。83歳でした。
父は専業農家でした。しかし、農業だけでは食べていけないので、農閑期にはよく出稼ぎに行っていました。秋の刈り入れが終わると、急いで家の周りに雪囲いを取り付け、10月頃から3月頃まで季節労働者として大阪や名古屋の建設現場に行っていました。「力仕事の方が体はきついが収入が良かったからだ」と後になって聞きました。父の留守中は母が一人で残った農作業をして、私どもを元気に学校に行かせてくれました。
お正月前にみやげをいっぱい持って父親が帰るのを、指折り数えて待っていたことを今も覚えています。もう40年近く前のことです。
そんな父や母のお陰で、いま私が生かされていることをすっかり忘れていました。改めて自らの親不孝を心から反省した今朝でした。

2007年10月25日

あなたは「PPK」をご存じですか。

毎日生活していると、幾つになっても実に学ぶことが多い。今朝もある中年の女性から「山崎さん、PPKって知ってる?」と尋ねられた。正直言って、私は昔から英語が大の苦手である。こんな私だから「PPK」が何の略語なのか見当もつかない。私が首を横に振ると、彼女は以下のとおり親切に教えてくれた。
人生の最も理想的な生き方は「生涯現役+PPK」だそうである。すなわち「できれば、死ぬまで現役で働いて、健康でピンピン生活し、ある日突然コロリと死ぬ。これが最も理想的な生き方(死に方?)」なのだそうである。なるほど「ピン・ピン・コロリ」=「PPK」。ようやく理解ができた次第である。
そう言えば「ぽっくり寺」と言われるお寺があるとも聞いたことがある。毎日たくさんのお年寄りがお参りするそうである。年老いて寝こんだり、あるいは認知症になって、家族に迷惑をかけたりしたくはない。また病院や老人施設で死んでいくのも寂しい。できれば、自宅で、ある日突然、眠るように死んで行けたら最高である。もうとっくに人生の折り返し点を過ぎた私にとっても、何となく理解できる感情である。
平成12年に在宅介護を目標に介護保険制度がスタートした。そして、ホームヘルパーなどの援助を受けて自宅でお年寄りの介護をされている家庭も増えている。しかし、高齢の家族(奥さんやご主人、お子さんなど)が高齢者を介護している(いわゆる「老老介護」)家庭も多いのが実態である。そして、介護に疲れた家族が被介護者に手をかける老人虐待や殺人などの痛ましい事件も多く発生している。
PPKと併せて、改めて高齢化社会の在り方を真剣に考えてみたい。

2007年10月26日

「鏡の法則」(野口嘉則・著)を読んで

「読書の秋」というが、毎日バタバタ忙しく動き廻り、ゆっくり本を読む時間が無い生活を送っている。
そんな中で今朝、知人から「とても良い本だった」と薦められ、さっそく借りて野口嘉則氏著の「鏡の法則-人生のどんな問題も解決する魔法のルール-」という本を読んだ。A5版92頁で活字も大きく、とても読みやすい本であった。朝から雨で予定が変更し時間が空いたこともあって、1時間ほどで読み終えた。そして、いい大人が朝から涙するのは格好悪いと思いながらも、涙が湧き出てくるのを止めることができなかった。
内容は、文中に出てくる「現実に起きる出来事は、一つの『結果』です。『結果』には必ず『原因』があり、その原因は、あなたの心の中にあるのです。つまり、あなたの人生の現実は、あたなの心を映し出した鏡だと思ってもらうといいと思います」という一節に集約されていると思う。
内容をあまり詳しく説明するのも、これから読まれる方に失礼というもの。是非皆さんにも読んでいただきたい良書である。

2007年10月29日

モラル・ハザードについて

最近「モラル・ハザード」という言葉をよく耳にするようになった。
耐震設計の偽装や食肉の偽装、お菓子などの賞味期限の改ざんなどは、すべて最近の企業におけるモラル・ハザードによるものだ。給食費を払わない親が増えたのも、家庭におけるモラル・ハザードによるものだ。という使い方である。つまり「モラル・のハザード」⇒「倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化」という意味である。
しかし、もともと「モラル・ハザード」という言葉は保険業界における専門用語らしい。つまりモラル・ハザード(moral hazard)とは、保険によって危険を回避できるという事実が、被保険者の損害回避行動を阻害する(保険契約において、危険回避のための手段や仕組みを整備することにより、かえって人々の注意が散漫になり、危険や事故の発生確率が高まって規律が失われる)という現象をさすらしい。
しかし、「倫理の崩壊」「倫理の欠如」という意味で使用されるようになってからは、一部の国語学者から「誤用(誤った使い方)である」との指摘もあったが、2003年11月13日、国立国語研究所による『第二回「外来語」言い換え提案』によって、モラルハザードは「倫理崩壊」「倫理欠如」「倫理の欠如」とする見解が示された。
ただし、本来「モラル・ハザード」という語は保険におけるリスク関連、および経済学の国際的な専門用語であり、この言葉が日本語圏においてのみ「倫理の欠如」という本来とは異なる概念で定着することはビジネスや国際コミュニケーションにおいて意思疎通の障害になり、利益を損なうという意見があるので注意する必要がある。
いずれにしても、今の日本社会は「モラル・ハザード」という新語が誕生するほどに、倫理の崩壊、倫理の欠如の病理が深く進行しているということかも知れない。
今日も新たに、老舗で知られる高級料亭「吉兆」グループの一つがお菓子の賞味期限を書き換えてデパートで販売していた事件が報道されていた。日本社会のモラル・ハザードは果たしてどこまで進行しているのだろうか。

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