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2007年03月 アーカイブ

2007年03月18日

いい日を選んで旅立った母に感謝

 2月28日から3月16日までの予定で、寝屋川市議会3月定例会が開催されていました。そして、私が所属する総務常任委員会が3月12日と14日に19年度の予算審議が予定されていましたが、選挙を控えて骨格予算であることもあって、審議は12日中に終了しました。
 翌13日は、市内の全市立中学校の卒業式が行われ、私も地域の中学校の卒業式に出席しておりました。卒業式が終わりに近づいた頃、マナーモードにしていた私の携帯電話のバイブが振動しました。母親の容態が良くないということで一足先に郷里(富山県氷見市)へ帰っていた兄からの電話でした。式が終了して折り返し電話すると、兄は「おふくろの容態がかなり悪くなってきている。血圧も下がり始めている」とのことでした。
 私はすぐに家に帰り、18日に事務所開きを予定していたので、取りあえず必要な連絡をとって、大阪駅午後3時42分発のサンダーバードに乗り、氷見市民病院に着いたのは午後8時前でした。母親はすでに意識はなく、酸素マスクをつけて大きく息をしているだけでした。そして、私が帰って約2時間後の9時56分、私が帰るのを待っていてくれたかのように、静かに眠るように息を引きとりました。享年満88歳でした。
 母の遺体を、今は住む主がなくなった実家に連れて帰り、15日は「友引」で葬儀ができないということで、14日は実家で仮通夜、15日はメモリアルホールで通夜、16日に葬儀、初七日の法要を済ませ、私と家族は16日の深夜大阪に帰りました。そして、母のお陰で、当初の予定どおり18日に事務所開きをすることができました。
 母は、生前よく施設の人に、国政選挙や地元の選挙などがある度に「息子はどうだったのやろか。当選したやろか」と訊ねていたと云います。そして、周りの人から「息子さんは大丈夫でしたよ」と言ってもらう度に、嬉しそうな顔をしていたと聞きました。
 母は、私の事務所開きにも、4月15日から22日の選挙にも何ら支障がないように、一番いい日を選んで冥土への旅路についてくれたのではないかと思います。4月29日の四十九日の法要には、母に良い結果が報告ができるよう、悔いの無い戦いをしたいと思います。

2007年03月30日

3月30日「フランシーヌの場合は・・・・」

 3月3日と3月30日は、いずれも私たち夫婦にとって大切な記念日です。
 38年前(1969年)の3月30日に私たち夫婦は初めて出会いました。雨の日曜日でした。当時私たち二人は、共にまだ19歳の学生(私は大学1年、幸子は短大2年)でした。そして、4年後(1973年)の3月3日のおひな祭りの日に結婚しました。その時は、幸子はすでに幼稚園の教諭をしていましたが、私は3月10日に卒業式を控えたまだ学生でした。いわば、私にとっては学生結婚だった訳です。したがって、3月3日と3月30日はいずれも大切な記念日という訳です。
 私たち夫婦が初めて出会った「3月30日の日曜日」のその日に、フランスのパリで、フランシーヌ・ルコンドという女学生が、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議して焼身自殺をするというショッキングな事件が発生しました。その事件を取り上げたのが、新谷のり子さんが唄った「フランシーヌの場合」という歌です。
 フランシーヌの場合は、あまりにもおばかさん フランシーヌの場合は、あまりにもさびしい 3月30日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ 
 ホントのことを云ったら オリコウになれない  ホントのことを云ったら あまりにも悲しい 3月30日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ 
 ひとりぼっちの世界に 残された言葉が ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
3月30日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ 
 フランシーヌの場合は、 私にもわかるわ フランシーヌの場合は、あまりにもさびしい 3月30日の日曜日 パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ
 私たち夫婦にとって、3月30日という日と共に、この歌は一生忘れられない大切な歌となりました。

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