2010年07月27日

心の持ち様で景色が変わって見える。

私は8年前から、毎週月~金曜日の早朝2時間、駅前で議会報告を配りながら「山さんのあいさつ運動」を行っている。毎日同じ2時間だが、その日によって随分長く感じる日もあれば、とても短く感じる日もある。
さわやかな青空の下で、たくさんの皆さんと元気なあいさつが交わせる日は、あっと言う間に2時間が過ぎる。だが、今にも雨が降り出しそうな空模様の朝は、下を向いて無口な人が多く、交わすあいさつの言葉も少ない。そんな日は2時間がとても長く思えるものである。
先日、ある方から「あいさつは、自分の方から心を開いて相手に近づいて行くこと」を教わった。その翌日は朝から30℃を超える猛暑であった。だが、私は駅前で行き交う皆さん一人ひとりに「おはようございます。今日も朝から暑いですね」「頑張って下さいね」と積極的に声をかけた。すると、今まであまり視線が合わなかった人からも「本当に暑いね」とか「山さんも暑いのに大変ですね」「山さんも頑張って下さいね」などの言葉が返ってきた。そして、あっと言う間に2時間が経っていた。
もう10日以上も燃えるような猛暑日が続いている。そう言えば、昨夜の満月も熱帯夜の中でオレンジ色に見えたのは、私の心の持ち様のせいだろうか。

2010年07月25日

「あいさつ」とは

先日、ある方から「『あいさつ』とは、自分の方から心を開いて相手に近づいて行くこと」と教わった。
私は、毎日たくさんの人と「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「さようなら」などの挨拶を交わす。しかし今まで「自分から心を開いて相手に近づいて行くこと」などと意識したことはなかった。そう言われると「なるほど」と思う。
改めて「あいさつ」について考えると、挨拶にはいろんな方法がある。言葉による挨拶、身振りによる挨拶(握手やお辞儀、抱擁、手を挙げる、手を振る等)、笑顔の挨拶、手紙やハガキによる挨拶、メールによる挨拶など。挨拶はコミニュケーションの基本なのだ。
しかし、「最近の若者は挨拶の仕方も知らない」とか「あの人は、遇っても挨拶もしない」などの言葉を時々耳にする。本当はこれは間違いなのだ。相手がどうであれ(年齢が上であるか下であるか、会社の上司であるか部下であるかどうかなどに関係なく)、先に気がついた方から挨拶をするのが基本なのだ。
今日も「大きな声で元気に挨拶」を交わして、笑って一日を送りたいものである

2010年07月22日

今日も山さんは元気ですよ。

6月24日(公示)~7月11日(投票)の参議院選挙が終わり、7月12日~15日の会派の上海市盧湾区訪問、上海万博見学も無事終わり、梅雨も明けて16日から約3週間ぶりに「朝の駅立ち」を再開した。ところが、いきなり朝から猛暑である。マイッタ。マイッタ。
朝、駅立ちで顔見知りの皆さんと交わす言葉は、つい「今日も朝から暑いですね」が決まり文句となってしまう。
そんな中、時どき「山さん、久しぶりですね」「どうしてたんですか」「どこか具合でも悪かったんですか」「心配してたんですよ」などの言葉が返ってくる。
しばらく顔を見なかっただけで心配していただけるとは、本当に有り難いものだ。ただ、朝の短い時間内に詳細を説明する時間は無い。「僕は元気ですよ」「また頑張ります」と答えるだけである。
今日も笑顔で元気に頑張ります!


2010年06月28日

「ほめて」育てる

昔から「ほめ育て」という言葉がある。子どもだけでなく大人でも「ほめてもらう」と嬉しいものだ。もっと頑張ろうという意欲が湧いてくるものである。
しかし、実は「ほめる」ことは意外に難しいものである。①目を見て、②笑顔で、③タイミング良く、④本当のことを、⑤心から ほめなくてはならない。他所を見ながら、不機嫌な顔で、過ぎ去ったことを、口先だけでほめてもらっても嬉しくも何ともない。
生後2~3週間で、赤ちゃんは「可愛いね」「あなたが生まれて本当に嬉しい」と言う母親の顔を見つめ、やさしい目の輝きから自分が愛されていることを確かめて育つと言う。
また、「ほめる」ためには、こちらが常に「きれいな心」と「心の余裕」がなくてはなたない。常に「きれいな心」と「心の余裕」がなければ、タイミング良く相手の良い処に気付くことができないからだ。
さて、これまで自分は、相手の良い処を見つけて、タイミング良く「ほめる」だけの「きれいな心」と「心の余裕」を持ってきただろうか。

2010年05月27日

「人生八分」のすすめ

「モタさん」の愛称で知られた斎藤茂太(さいとうしげた 1916-2006、歌人・精神科医師・随筆家、斎藤茂吉の長男、北杜夫の兄)は、その著書の中で
 私はいつも『人生80パーセント主義』を提唱しているが、やはり何事も「ほどほど」が大切なのである。
 酒も「うまい!」と思うところでやめておく。腹八分、酒八分、人生八分。この「さじ加減」ができる人は、バランス感覚のすぐれた、人から信頼され大切にされる人だ。
と述べている。
昔から人間関係で悩む人が多い。完璧主義の考えで自分を苦しめるよりも、「ほどほど」に考えることで「心の力を抜く」ほうが良いという意味である。
「すべての人と仲良く付き合うこと」は不可能に近い。イヤな人(無礼な人、意地悪な人、思いやりがない人、自分を大切にしてくれない人など)がいても「世の中にはこんな人もいる」と思えば良い。人づきあいで多少気まずいことがあるのは「仕方がないこと」。関係が悪い人がいても「(この人とは)このままでも良いか」。親しくなれない人がいても「(この人とは)それなりに付き合おう」と割り切った方が良い。
人間関係では、人に気を遣うことは大切なことだが、気を遣い過ぎるから疲れるのだ。過ぎる前に「力を抜く」ことができたら、人間関係で悩むことも少なくなるだろう。

2010年05月20日

平成22年度寝屋川市議会役員が決定しました。

5月18~20日の日程で「5月臨時会」が開催されました。
5月臨時議会の主な内容は、新年度の議長、副議長、議会選出監査委員など議会役員の選出です。議会役員が毎年交替することについては、一部に「たらい回し」との批判もあるようですが、市民の支持と信託を受けて選出された議員が、できるだけ多く役員を経験することができるという点では、毎年交替することに十分意義があると私は思っています。特に都市部の自治体では議員定数を多いため、役員の任期を複数年にすると一部の限られた議員だけが議会役員に就く事ができるということにもなりかねないため、毎年交替にも一定の意義があると私は思っています。
いずれにしても、寝屋川市議会では毎年交替が通例となっています。しかし、役員改選については各会派にそれぞれ思惑もあり(特に議員選挙の前の年5月臨時会では、良いポストに就いて今期を最後に引退しようと思っている議員や、良いポストに就いて次期選挙を有利にしたいと思っている議員など思いは様々のようです)、日程がスムーズに進まないことが多いようです。
今回も、難産の結果の新体制の誕生となりました。
【新しい議会役員体制】
議長=中谷廣一(新風ねやがわ)、副議長=梶本孝志(公明党)、議会選出監査委員=板東敬治(新生ねやがわ)
【常任委員会の正副委員長】◎=委員長、〇=副委員長
①総務常任委員会 ◎松本順一(新生ねやがわ)、〇田中久子(共産党)
②建設水道常任委員会 ◎山﨑菊雄(新風ねやがわ)、新垣節子(公明党)
③厚生常任委員会 ◎板坂千鶴子(公明党)、〇太田徹(共産党)
④文教常任委員会 ◎広岡芳樹(新風ねやがわ)、〇肥後洋一朗(公明党)
【議会運営委員会の正副委員長】◎=委員長、〇=副委員長
◎北野志郎(新風ねやがわ)、〇板坂千鶴子(公明党)

2010年04月18日

言霊(ことだま)

古くから「言霊(ことだま)」という言葉がある。万葉集にも登場する美しい言葉の一つで、言葉に宿っている精霊(不思議な力)という意味である。昔から、その力が働いて言葉どおりの事が起こると信じられてきた。そして、この「言霊(ことだま)」は現在でも生きている。
結婚式で「戻る」「別れる」などの言葉や、試験で「すべる」などの縁起の良くない言葉をできるだけ避けるのもその一つだ。また、かつてあるプロ野球選手にいつ「調子はどうか」と尋ねても、彼は常に「絶好調です!」と答えたという。いつもプラス思考の自己暗示をかけて力を発揮しようとしたのだ。
私たちは誰でも「夢」をもって生きている。「宇宙飛行士になりたい」などの途方もなく大きな夢もあれば、「家族揃って健康で幸せに暮らしたい」等のささやかな小さい夢もある。馬鹿にされそうで口にできない夢だったりもする。だが、恥ずかしくてもそれを言葉にすれば「夢」が「目標」に変わる。実現するために何をすべきかが見えてくる。自分に何が足りないかが分かってくる。また、周囲もあなたの夢を知ることで初めて応援や協力が出来るようになる。言葉にすることで実現への道筋が見えてくるのである。
これこそが「言霊(ことだま)」である。やはり言葉には大きな力があるのだ。

2010年03月31日

今日一日を大切に

昔から『一日一生』と言う言葉がある。「今日一日が自分の人生の最後の日だと思って精一杯生きよ」という意味だが、長く思える一生もよく考えると一日一日の積み重ねであり、永遠に続くものではない。人の寿命は誰にもわからないのだ。明日という日が全ての人に必ずやってくるとは限らないのだ。
とすれば、必ずいつの日か今日一日が自分の最後の日となることは確かだ。その最後の日がいつなのか誰も知らない以上、今日のこの日が自分の最後の一日だと思って生きるのも間違っていないだろう。
さて、今日だけが自分の最後の一日だとしたら、私はどんな一日を過ごすだろうか。
身辺を整理し、家族に感謝と別れの言葉を述べ、友人や知人を訪ねて旧交をあたためるだろうか。あるいは、やり残した仕事を今日一日の内に真剣に取り組んで、何が何でも仕上げてしまうだろうか。あるいは、今まで時間が無くて読めなかった本を、一日中ゆっくり読んで過ごすだろうか。

2010年02月21日

後輩から「目標を持つこと」「挑戦すること」の大切さを学ぶ。

最近、大学の同窓の皆さんと会う度に「後輩たち、みんな頑張ってるね!」の言葉から会話が始まることが多い。
昨年の暮れから、母校(関西大学)のアメリカンフットボールが甲子園ボウル(大学リーグ)で優勝し、正月に東京ドームのライスボウルで日本一を賭けて社会人代表と戦った。また同じ正月に、高校サッカーの全国大会で付属第一高等学校が国立競技場で大阪府を代表して日本一を目指して戦った。
そして、2月12日から始まったバンクーバー冬季五輪のフィギアスケート男子に高橋大輔君と織田信成君が出場し、高橋君が銅メダル(日本人男子初のメダル)、織田君は靴ひもが切れるというアクシデントがあったものの7位入賞を果たした。
高橋君は、2年前の練習中に右ひざじん帯断絶の大けがをし、壮絶なリハビリを克服して復帰した。直前の練習では何度も4回転ジャンプを失敗しながらも、自分の目標は「オリンピックで4回転ジャンプを飛ぶこと」と決め、一度も無難に演技することなど考えなかったと言う。また、はじめ高橋君はこの大会を最後に選手を引退するつもりだったと言う。だが、4回転ジャンプを失敗したことから、もう一度次を目指して挑戦したいという。
後輩たちの活躍ぶりをテレビなどで観ながら、自分自身を振り返ってみると、最近、年齢と共にいつも無難な方を選択し、「挑戦する」ことを忘れかけていたような気がする。
後輩から、改めて「目標を持つこと」と「挑戦すること」の大切さを学んだ思いがする。

2010年01月26日

「句読点」で気付いたこと

先日、行政から1枚の文書が回ってきた。それを読んでいて何となく違和感を感じた。内容ではなく、文章そのものにである。
私は、これまで60年の人生の中で数えきれない多くの文章を読んできた。その殆んどが日本語である。そして、これまでそれらの文章に違和感を感じたり疑問を持ったことはあまりなかった。だが、先日の文章は違っていた。
私はこれまで、日本語の文章の句読点は、縦書きも横書きも「、。」と思ってきた。だが、回ってきた文章は違っていた。「,。」だったのである。
さっそく役所の文書(法規)担当課に電話で確認した(と言うより、異議を申し立てた)。応対した担当課長は「今まで、そのような指摘があまり無かったので、しばらく時間を下さい」とのことであった。
翌朝、担当課長がたくさんの資料を抱えて私の部屋にやってきた。そして以下の説明をしてくれた。
今、役所の文書中には「、。」の文章と「,。」の文章があります。どちらも誤りではありません。昭和26年に『公文書作成の要領』が国語審議会で議決されました。この要領では、公文書は横書きとし句読点は「,。」を用いるよう定められています。この要領は昭和61年発行の内閣総理大臣官房総務課監修の『新公用文用字用語例集』にも記載されており、現在も有効です。しかし、50年以上経過した現在においても、官報などこの要領に沿わない公文書が多く出回っているのも事実です。
ちなみに、文部省においては、横書きは「, 。」としていましたが、文部科学省への省庁再編時に科学技術庁の職員から不便だとの苦情もあり、公文書でも文書中で統一がとられているならば横書きでも「、。」でよいと内規されています。
また、横書きの教科書(算数、数学、理科、社会、音楽など)の殆んどが「, 。」です。ただし、教育委員会に確認したところ、教育現場の先生方は教室ではほとんど「、。」を使用しているようです。
私としては、横書きの原則は「,。」だということには直ぐに納得できないところであるが、字の書き順まで細かく規定する文部科学省(教育委員会)が句読点については、教科書で「,。」と明記し、教室では「、。」を使用していることこそ納得できないところである。